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プロフィール(五十音順)

荒川健一(写真家・トカラ塾光学記録班)

1948年横浜市生まれ。
東京総合写真専門学校中退。
広告代理店写真部を経て、1975年よりフリー。

現在、雑誌・書籍の撮影の傍ら、アジアの国々や国内各地のドキュメント写真を撮り歩く一方、身近な風景の中に潜む独自の世界を撮り続けている。

写真展
「ミンガラバ」~ミャンマー タンボウ村の人々~
「口福眼福越南紀行」
「混泥の街・浄土の都」~インド紀行~
など

主な出版物
『山鹿八千代座』 NTT出版
『坂東玉三郎の宇宙』 新書館
『天井桟敷の人々』 フレーベル館
『ブッダ 大いなる旅路』 NHK出版
『やさしく編む竹細工入門』 日貿出版社
など

稲垣尚友(竹大工・民俗研究家・トカラ塾塾頭)

1942年東京生まれ。亡父の影響で何となく外交官を目指し、灰色の受験勉強の日々を過ごす。しかし22歳の時それまでの生き様に疑問を感じ、本当の人間の暮らしを求めようとするあがきの中、土方・行商などをして日銭を稼ぎながら全国を放浪する。その中で南島の魅力にとりつかれ、生涯のフィールドとなる鹿児島県トカラ列島にたどり着く。

当初、何とか島と関わっていこうとする手段としたのが、土地の方言・地名・習俗を収集したものをガリ版本とし、その言葉を島の人々と共有しようとする試みであった。1970年に無人島となった同列島臥蛇島の最期を見届けた後、東隣の平島で本格的に定住生活を始め、記録・観察の対象をそこに生きる人々に定める。ところが島のありのままを記録しようとした文章は図らずも島自身から強烈な反発を受け、住み始めて13年後、強烈な逃亡者意識を抱きつつ島を後にすることになる。35歳の時熊本の人吉盆地で竹細工職人に弟子入りし、のち千葉県の鴨川で籠屋をひらく。離島から17年後再び島を訪れ、以後島の記録を再開する。

籠屋としてはその作品が高い芸術性を評価される一方、自らを「平成賤民」と称し、さながら中世の渡り職人のように各地を遍歴し、日用品の製作を行っている。ライフワークである平島の記録においては、徹底して視線を地べたに置き、対象と密着するその姿勢は民俗学・文化人類学における最先端の動向と同じくするものがあり、稲垣学講座が千葉大学に開設されるなど、生きながらアカデミズムの側から研究対象となった。

これだけ多芸で才能豊かなアーチストの宿命なのかフツーの人から見ればどのようにチャンネルを合わせたらよいのか迷う者も多いのだろう。路上を歩けばお巡りさんから「とりとめもなく歩いていた」事が理由として呼び止められ尋問されることしばしばと言う。

(橋爪太作 記)

神武夏子(ピアニスト)

武蔵野音楽大学音楽学部ピアノ科卒業。フランス留学後、サティとフランス6人組の音楽に出会い、1999年、プーランク生誕100周年記念コンサートを主催。

現在、リサイタルを中心に、サロン・コンサート、NHK-FM「名曲リサイタル」出演など、さまざまなかたちでサティとフランス6人組の音楽を紹介するほか、詩人の藤富保男氏と、ピアノと詩の朗読による「詩を奏でる」を各地で公演。

2002年、CD「café des six」、2006年、CD「café Poulenc」を発表(いずれも当塾ホームページ「南島資料室」内「神武夏子音源リスト」より入手可能)。

トカラ塾との関わりは、2011年に稲垣尚友塾頭が上梓した『灘渡る古層の響き』出版記念パーティにおいて、ピアノと朗読のコラボレーション企画を行って以来である。

橋爪太作(学生・トカラ塾事務方)

第4回トカラ塾

1986年、ヒガシではチェルノブイリ原発が、ニシではスペースシャトルチャレンジャー号がそれぞれ爆発していた年に、鹿児島県鹿児島市伊敷町の江口助産院にて生まれる。

1995年、ヒガシでは地下鉄サリン事件が、ニシでは阪神淡路大震災がそれぞれ起こっていた年に、父親の仕事の都合でデンマークに一年間滞在。絵本の欠乏からついには日本から送られる荷物の包み紙である新聞紙にまで手を伸ばし、以後生涯消えない活字依存症を背負い込む。また、このとき小学校で九九を習い損ねたことから、やはり生涯消えない(?)数字恐怖症をわずらう。

2000年ごろ、かねてより尚友氏と親交があった父親の書架から「吐火羅国」を発見。何でもないはずの島の日常のおもしろさに感銘を受ける。そんな自分を見ていた尚友氏からある日、網野善彦「異形の王権」が送られてくる。それまで歴史に対して漠然と抱いていた違和感を吹き飛ばし、しかも後に巨大な疑問の山を積み上げたようなこの本にすっかり魅了され、「研究者になりたい!」と思うようになる。志望を東大文2から文3に変更。

2006年、運良く大学に合格。鴨川の尚友邸に出入りするようになる。トカラ塾立ち上げには割と初期の方から参加。いまは片目で島の習俗、片目で社会システム理論をにらみつつ、当塾の運営と論文書きをつづけている。

橋爪健郎(自然エネルギー研究者)

第4回トカラ塾1942年生まれ、戦後の原子力を頂点とする科学技術文明が理想とする社会に育った世代。 1977年川内原発建設の決定に対抗して市民の手作り風車発電を原発近隣の薩摩川内市上野地区に建設。原発を否定することは、それを必要とする中央集権社会を否定することであり、そのためには自然エネルギーによる地域自立社会の構築が必要であることを提起。

それがきっかけで、その構想は既にデンマーク社会で進められていたことを知った。以来デンマークエネルギー事情視察にに計6回訪問。1994年9月より1995年8月デンマーク・オルボー大学研究員としてデンマークの再生可能エネルギー開発の調査研究。帰国後も川内原発増設反対運動と共に市民運動として鹿児島県指宿市の有機農家でバイオガス装置建設など進めた。

現代は「自然エネルギー」が原発推進の論拠に組み込まれている時代である。原発に反対することと自然エネルギーとの本来の関係は何かを伝えて自然エネルギー推進を進めるのが現在の私の役割であろうか。

日高利泰(学生・トカラ塾事務方名誉顧問)

第4回トカラ塾

1987年鹿児島県鹿児島市生まれ。ラ・サール中・高卒。在学中は生徒会のテクノクラートとして教師にも一目置かれる辣腕ぶりであった。高3の頃橋爪と知り合い、銀塩カメラ・超芸術トマソンなど共通の趣味を通じて親しくなる。ちなみにこの頃橋爪は、彼のあまりに大人びた落ち着きぶりに「この人、本当に高校生か!?」と半信半疑であった。

2006年、京都大学文学部に進学。学内で少女マンガ研究会を立ち上げ、かねてよりの目標であったマンガ研究者への道を歩み始める。また同時にアドルノ、ハーバーマスといった哲学・社会科学への造詣も深いものがあり、その成果は今後「南島学」においても発表されるはずである。

きわめて合理的かつ鋭敏な思考と人を惹きつける機知の持ち主である一方、神仏も恐れぬアホな思考がこんこんと湧き出てくる人でもある。

トカラ塾への参加により、マンガ研究にとどまらず、今後は幅広い分野での活躍が期待される。

(橋爪太作 記)

船木拓生(劇作家)

第4回トカラ塾

1947年1月、三河国岡崎、県営追進農場内の一軒家に生。見られる通り、後に団塊の世代と呼ばれる、そのハシリ。ただし、小学生になった頃「復員っ子」ということばを知り、戦争と自身の誕生の関係が、ここに男女の性にまつわる秘密性が加わって、そのまま我が生のおぞましさと感じられて、その刻印が未だにこの単語が忘れられない程度に残ってきた。なお、この「復員っ子」なる単語だが、同世代を含めて、ぼくが確かめた限り覚えている者がいないというのはどうしたことか。

尚友さんには『山羊と焼酎』を読んで、ただただ感銘感嘆。その後、たまたますれちがうことがあったが、紹介するというのを、突然のことで、ぼくは逃げてしまった。会って、話すようになったのは、それから十余年、『山羊と焼酎』から二十余年たっていた。この間、いずれ会うという確信がなぜかあった。今、ぼくは演劇用のドラマを創作中。尚友さんが使うことばは歳月を加えるとともに、いよいよ新鮮に深まるばかり、いつも触発される。乞、御期待!!

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