トップページ / 南島学ヱレキ版 / 2011年6月号 ぬるぬるするコンピュータ2.0(橋爪太作)
メニュー
南島学ヱレキ版 航跡 南島資料室籠屋新聞 トカラブログ リンク

ぬるぬるするコンピュータ2.0
――インターフェイスの修辞学とデジタル視覚文化の現在

はじめに

近年、スマートフォンやタブレット端末といった、これまでのパソコンとは異なるコンセプトと使用感をもったデジタル機器が急速な普及を見せている。単なるパソコン用OSのダウンサイジングではない、タッチパネルによる直感的でシンプルなインターフェイスをもったこれらの機器は、1980年代のマウスとGUI(Graphical User Interface)の導入以来ともいえる本質的な変化を、パーソナルコンピューティングの世界にもたらしつつある。

キーボードとマウスからより身体的な指とタッチパネルへと、人とコンピュータの界面が再定義されつつある昨今の状況は、単にコンピュータ技術の変化にとどまらず、その変化を受け入れる社会の側にも関わってくる。以前、Apple iPhoneの広告表現を対象として、iPhoneに代表されるような新世代のデジタル機器が現代社会においてどのように受け止められているかについて考察した(橋爪[2010])。ここでは、脱稿後に調べたことなども増補しつつ、この問題をさらに掘り下げて考えてみたい。

「ぬるぬる」というキーワード

コンピュータのインターフェイス、あるいはデジタル映像の質感がすぐれていることを表現する言葉として「ぬるぬる(動く)」という表現が最近しばしば見られる。たとえば「爆速でぬるぬる動くソニーのAndroid[1]スマートフォン「Xperia(SO-01B)」の実機デモムービー[2]」「iOS[3]4のヌルヌル感、たまらんなぁ[4]」といったようなふうに使われる。発表者自身は2年ほど前からこの言葉をネットでしばしば目にするようになり、コンピュータのような純粋論理機械を形容する言葉として「ぬるぬる」というきわめて生臭い言葉が用いられることの異様さもあって、ずっと心の片隅に引っかかっていた。

同様に動作が機敏でストレスがないさまを表す言葉としてはすでに「さくさく」があり、事実両者は混在して用いられることが多い。しかし、時代の異なるこの二つの言葉の間には、ある断層が走っているのではないかと考えられる。

「ぬるぬる」の使われ方

1. ゲームやアニメ、テレビの動き(←→カクカク、97年頃から)
スペック以前に身体的に感じられる速さ。ゲームは3D、2Dともに、フレームレートが高く操作へのレスポンスがよい場合に用いられる。アニメはディズニーのフルアニメや動画枚数を多く使ったリミテッドアニメ、テレビはコマ間補完機能によって標準速の30fps以上でパネルを駆動するモデルについてこの種の形容がなされることが多い。

2. コンピュータの速さ[5](≒さくさく、←→もっさり、トロトロ、00年頃から)
どちらかといえば、ベンチマークテストの数字に表れるような客観的速さ。多くの場合(2)は(1)の必要条件であるが、タッチインターフェイスにおいてはスペック(2)に劣るiPhoneが使用感(1)で競合製品に勝ることも少なくない。

3. コンピュータのインターフェイスのスムーズさ(←→もっさり、カクカク、01年頃から)
最初はApple MacOSX(00年発売)のAquaインターフェイスあたりから始まったと見られる。その後、iPhone以降のタッチインターフェイスを採用したスマートフォンに対し、頻繁に用いられるようになる。また、Sony PS3の地デジレコーダtorneの、家電メーカー製レコーダとは違うなめらかで遊び心のあるUIについても同様の形容あり。

※発生年はGoogle検索(検索対象期間オプション付き)で見つかった分に限る。

「「ぬるぬる」は滑らかに動くのに対し、「さくさく」はちゃんと反応するが、所々なめらかではない[6]」という意見があるように、「ぬるぬる」と「さくさく」の感覚は、現在のネット世界において別物として考えられている。

発生の順序としては、まず、コンピュータやゲームに親しんだネットユーザーやオタクの間で、仮想現実へ全身体的に耽溺する方向性を持った(1)と、コンピュータを主体があくまで道具として操作する方向性を持った(2)が併存して使われていたところに、AppleやSonyのような企業が(2)に(1)的な要素を積極的に取り入れた製品を開発したことによって、仮想空間への身体的・有機的な没入感を伴いつつ、現実への指向性をもった(3)へと意味が統合されたと考えられる。

現在の「ぬるぬる」に対する社会意識

1. 新世代のインターフェイスの基準
「UIがぬるぬるしてなかったのが敗因。これからはどんな機種でもぬるぬるの時代。カクカクは売れない[7]
ここでやり玉に挙げられているXperiaに限らず、Androidなどの後発対抗機種とiPhoneの間にはスペックを超えた「ぬるぬる」感の差があるという意見はひろく見られる。

米Moto Development Groupによる、複数のスマートフォンのタッチパネル精度をロボットアームによって実験した結果によれば、2009年時点では競合機種に対するiPhoneのタッチ追従性が図抜けて優秀であることが実証されている。

また、デジタル映像やアニメに対しても、「ぬるぬる動く」は基本的にほめ言葉として使われているようである。

2. 漠然とした不快感
「あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の関心も感動もありません。嫌悪感ならあります。その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね[8]

「これすごい嫌いな表現だわ こんなのいつから言い出したんだよ 一昔前は誰も使ってなかったぞ[9]

前節で見たように、「ぬるぬる」はもともとゲームやアニメのオタク用語から発生したと考えられ、エロとの親和性の高さ[10]もあって、どちらかといえば後ろ暗い言葉である。iPadを使う姿を「自慰行為のよう」と評した宮崎駿の言葉は、歴史的にもきわめて的確といわざるを得ない。

現在、「ぬるぬる」はもはやコアなオタクたちのジャーゴンの域を超えて、大手ITメディアやMicrosoftなどの大企業にまで進出し始めている。

この躍進の背後にある技術側の条件は、00年代に起こったコンピュータインターフェイスやデジタル視覚文化の更新であろう(1)。しかし、なぜ社会はそれらを他でもない「ぬるぬる」という言葉で形容し、<若干の気味悪さとともに>受け入れた(2)のか。

「ぬるぬる」はなぜ人口に膾炙したのか

・90年代以降の情報技術の大衆化・個人化と、プライバシー/セキュリティ問題や情報洪水のような負の側面の顕在化。
→コンピュータはなんでもできる未来の機械から、車や時計のような日常的な道具へ。ネットは他界からもう一つの社会へ。
→情報技術が日常化し、ユートピアやディストピアをコンピュータに託して語れなくなった。「情報化社会」バブルの沈静化(佐藤[2010])。

・「情報化社会」という空虚な記号をもっともらしく語りづらくなった現代においては、「ぬるぬるか、否か」のような感覚的で細分化された語りが主流になる?

・人間の知覚や感覚の内側までコンピュータが入り込むことの不安。
→AR(拡張現実)や体感型ゲームのような現実/仮想の境界線の揺らぎ。
→「ぬるぬる」は、それがプラスの意味を持つときは、仮想現実が人間の生理感覚にシンクロし、融合する(あるいは部分的に超える)快感に関わっているが、反対に人間の感覚を覆い尽くし、侵入し、書き換えてしまう人工物への恐れが全面化すると、とたんにそれはマイナスの意味を持った「不気味」で「気持ち悪い」ものとして感じられるようになるのではないか。

cf.不気味の谷[11]

「ぬるぬる」ではたして社会は変わるのか

社会におけるコンピュータやテレビといったメディア機器の役割は、従来のハードウェア(映画、タイプライター、ファイルカードetc……)の延長線上にあり、インターフェイスの変化は本質的な問題ではないように見える。つまり、「ぬるぬる」それ自体はあくまで表面的な、きわめて薄い社会性にとどまるように思える。

しかし、タッチインターフェイスのような新しいメディア環境に対するある種の不気味さの感覚は、とりもなおさず我々が所与のものとして生きてきた古いメディアフレームに対するdetachmentになっていないだろうか。

スマートフォンにしろ高性能テレビにしろ、現在市場に出回っているのがまだまだ技術的に未完成なところがある初期の機器だからこそ、それらの作り出す幻術の破れも看破しやすいし、それを享受する我々の知覚も、まだ新しいメディア環境に完全に適合していない。さらに技術(と我々の知覚の書き換え)が進んで、それらの提供する感覚が全く違和感なく当然のものとして享受されるようになれば、もはや「ぬるぬる」という言葉そのものがなくなるか、あるいはそこから不安のニュアンスは完全にかき消えているだろう。

タッチインターフェイスというメディア史の不連続は、その日常化とともに不可視化され、「紙と鉛筆の時代から本質的には何も変わっていない」という<片面だけの>真実に取って代わられるのである。

〈参考文献〉

橋爪太作 2010 「ぬるぬるするコンピュータ――iPhoneの広告表現にみる情報社会の変容」、『南島学ヱレキ版』2010年5月号、文化結社トカラ塾(http://www.tokarajuku.sakura.ne.jp/nantogaku/10/05/hashizume-nuru2.html)

Kittler, F 1986 Grammophon, Film, Typewriter, Brinkmann U. Bose=2006 石光泰夫・石光輝子訳、『グラモフォン・フィルム・タイプライター(上)(下)』、筑摩書房

佐藤俊樹 2010 『社会は情報化の夢を見る――[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望』、河出書房新社

[1] 米Googleが開発したスマートフォン用OS。
[2] 『GIGAZINE』http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100121_docomo_xperia_so_01b_movie/(2010年11月8日アクセス、以下全て同様)
[3] iPhoneやiPadに採用されているOS。
[4] 『Twitter』http://twitter.com/kakudaya/status/16807178668
[5] ただし(1)とはちがい、90年代後半~00年代前半には、人間の指示と画面の挙動のあいだにタイムラグが発生することを「ぬるぬるー、のたくたー」のようなマイナスの意味を持った連語で表現することもあった。
[6] 『kinta's diary』http://uckey.inweb.jp/kinta/log/eid107.html
[7] 「【販売ランキング】GW中、最も売れた携帯電話は「iPhone」・・・あのXなんとかはランク外へ」『2ch』http://varda2.com/test/read.cgi/news/1273919586/l50
[8] 「宮崎駿、iPadをこきおろす」『Newsweek』
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2010/07/ipad.php
[9] 「単語記事:ぬるぬる動く」『ニコニコ大百科』http://dic.nicovideo.jp/a/ぬるぬる動く
[10] タッチインターフェイス自体エロとの親和性が高い。今回の調査の過程でも、じつにとんでもない使い方がいくつか見つかった。
[11] ロボットや3Dキャラクターが、人間に似れば似るほど不気味さが発生してくるという現象。
ページの最初に戻る>>