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第12回 リソー風車試験所の前史(2)

エゴン・ベネゴー

コンタクトグループの会議

ある日カール・エリックが試験所のコンタクトグループとの会議に参加した時のことを末尾に触れよう。当時の風車試験所所長パー・ルンドセイヤーが風力-ディーゼルシステムの実用化についてのレクチャーをしたことがあった。パー・ルンドセイヤーは 風力-ディーゼルシステムをつくるのはどんなに大変なことかを話した。そこでカール・エリックはそうしたシステムをリソーで研究する必要はないのかと質問した。彼の言うには「そのようなシステムをすでに持っていて、装置はちゃんと動いており家庭と工場に電力を供給している。そしてそれはそんなに大変なことではない」と。 試験所でも私たちはカール・エリックのようにやってみることになった。試験所での最初の実験用風力-ディーゼル装置はピーター・ラスムッセンによってつくられた。借りてきたトレーラー積載の非常用電源それとカール・エリックの鍛冶屋風車をそれぞれ配電線側と電力消費側とを接続した。彼はその組み合わせで運転をスタートしたのだった。コンタクトグループは試験所の成果が風車社会に還元されるための一つの機能として長年存在した。さらに試験所が研究開発分野で優位にある立場からコンタクトグループは長年にわたって、どんな風車が認証され、どの風車が不十分であるか(ユーザーからフィードバックされる)それに対して試験所が何をするかなどについてコメントし討論をしたのである。時折コンタクトグループが主催する会議の間隔がずいぶん長くなることがあった。だが、そういうときにはOVEから「試験所は何をしているのか」というお叱りがきたものだ。そうなるとコンタクトグループの会議は招集され議論が始まると言う次第であった。

最初の風車発電協同組合

オレ・エルモセ ブルンスホブはヴィボーの南5km200世帯くらいの町で、人々は協同組合をつくって物事を進めていく伝統があった。というわけで1979年の秋、私はブルンスホブで持たれた未来のエネルギーについての話し合いに招かれたのは当然の成り行きであった。 話し合いでブルンスホブにおけるバイオガスと水力か風力の可能性について広く研究しなければならないとの合意がなされた。だが、関心はどんどん風力に集まり1979年10月29日にはすでに風車発電協同組合を結成するための会議が招集された。会議にはカール・エリック・ヨアンセン、ハーボルク機械会社、コンサルタントのビルガー・マットセン、ジャーナリストのトニー・モラーが招かれた。はじめの人はHVK風車発電会社の人であったが彼はその後まもなく死んだ。ビルガー・マットセンもトニー・モラー両者とも後日風車発電開発の中心的な人物になった。それは彼らが風車発電協同組合の結成会議に関わった最初であった。実際に風車が回る予定の2年後までに不確定なところは何とかなるであろう。ブルンスホブ風車はまさに協同組合風車としての最初のさきがけであったのだ。

エネルギー省 間口を広げる

まずは風車設置場所を選定しなければならない。ヴィボー市の所有であったブルンスホブ学校の市有地という候補地がつぶれ、別の候補地はたまたま他の電力会社の地域なので、この際、これも無理、という時に地域の農家の人と共に選定作業ができうまくいったことは幸いであった。 設置に関して問題が明らかになった。エネルギー省の補助金は個人所有の風車のみに出るとされ協同所有の場合は出ないことになっていた。そのことに関して私たちは1980年の一時期にエネルギー省と交渉し続けた。ジャーナリストのトニー・モラーも当時の新聞のINFOMATION欄でサポートしてくれた。そのおかげで補助金の条件は改正され協同組合風車も含まれることになった。だが、補助金の割合は20%に下げられた。風車発電協同組合に関する定款づくりは全く経験がなかったが、高等裁判所地方支部判事の助けにより厳密なルールを共につくることができた。1981年4月21日設立総会の開催にこぎつけ、風車発電購入を検討するための委員の選出がなされた。1シェアーあたり4000クローネと定められ、34人のシェアー(訳注:共同所有するため分割された権利証、有価証券の一種で一定の条件下で売買できる)保有者は1から4シェアー買うことになった。普通、シェアーの額は風車発電の予想発電量から計算して求めるものだが、ここでは何ともそうして計算する以前に決められたというわけだ。

公民館での祝賀会

(デンマークでは数十戸という小さな村でも村民が自由に使える共同の家=公民館があり、例えば毎週土曜日村民全員で食事をとるなど村民どうしの交流に使われる。:訳注)

この頃ヴェスタスの55kw風車が回っていたが価格が高かった。これ以上のシェアーを私たちは集めることができなかったので、代わりにそれ程高くなかったノルドタンクの風車を買った。風車を立てるために私たちはそんなに多くの出費をすることが出来なかったからである。風車発電の進歩は風車の持った側によってもたらされ風車をつくった側によるものではないいうことをこれから述べよう。とりわけ風車の安全性はシェアー所有者にとって基本的なことであった。風車発電そのものの技術がまだ若かったということ、連帯責任をとるための協同組合形式はいろいろ拘束が強いものだったことである。風車発電シェアー保持者は全員の名前の入った風車発電の権利書をつくった。かならずそうしなければならなかったのだ。だがシェアー保持者の変更が生じるたびに全員の署名を取り直さねばならなかった。さすがにそれは大変なので数年後改正した。

風車は1981年10月に運転を開始した。そして次の土曜日がオープニングの祝賀会であった。午後、シェアー所有者が公民館から風車まで行進して風車の回っている姿をながめた。夕方は公民館で祝賀会であった。私たちはここまで事業を成し遂げ大いに自信を強くしたものだ。 だが、ハナが高かったのは一時だった。

その後3週間たったころ強い「11月嵐」に 関連して風車試験所から書留便が届き風車を一時的にストップするように通達してきた。同じ型の何台かの風車で翼の先端がふき飛んだからである。私たちの風車係は確かに停止したことを確認する文書をリソーに送らなければならなかった。ノルドタンクは翼の先端部を定位置に固定するように改良し続けたが、結局その後新しくつくられた翼と交換することになった。彼らは私たちの翼をひきとり、別の風車からはずして改修した翼のセットをもってきて私たちの風車に取り付けた。

そのあとまもなく、ヴィボーの遺失物係から電話があり、風車の翼を落としたのでないか、との問い合わせがあった。まさかそんなことがと思ったが、こういうことであった。運搬業者が翼を持ち帰る時その1本を道路の未使用車線に置き放していたというわけであった。

私たちの知る限り初期の風車は強風対策として風車軸を風向きに対して傾けるという方式で始まった。強風に対して翼車の向きを変えてそらすのである。その方式では翼に対する荷重があまりに大きすぎるように思われたので新しいシステムが求められた。私たちの風車はそのようにして改良されつくられたものだった。翼づくり業者のエリック・G・ニールセンが設計したもので翼の失速制御を研究するためターボ-テープが取り付けられていた。その後新しい風車は翼型と翼アングルと言われる制御棒によって失速制御がなされるようにつくられた。

電力会社との「冷戦」

 私たちの風車への挑戦は順調に進み(ドン・キホーテのように)地面に叩きつけられることはなかった。そこで私たちは1984年同じ地主の所有地でもっと良い条件の所でノルドタンク55kw風車を立てることになった。シェアー保持者も今までのシェアー所有者に加えて新たに12名増やした。

電力会社というものは全くもって資本の原理で動くものである。私たちにとっては中部ユトランド電力MEFであったが、この会社がまたとりわけの「冷戦」相手であった。

例を一つあげよう。当時私たちは風車発電協同組合の支援のもとでブルンスホブの古い製材所跡を使って水車発電ができないか調査していた。跡地は廃品業者に買収され製材用水車のための堰は壊れっぱなしになっていた。そこにはかつて水車が使われていて製材所には2台の水車があった。私たちはMEFに系統連携に関する問い合わせをした。MEFの返事はこうだった。製材工場の位置は微妙なところにあり、配電はMEFとヴィボー市営電力の両方からなされていて、それぞれの電力会社の境界にあります。ご存じのように私どもとしましては他の電力会社に配電することは出来ません。どうぞ製材所に配電しているVKV社にお問い合わせ下さい。

私たちは実際に製材所に入ってMEFの備品番号が記された設備を確認し、MEFの配電網に接続できるはずではないかと返事を書いた。だが行けども行けども進まなかった。異なった考えかた立場の者どうしでは事はうまくいかないものである。今ではその製材工場は彼らが自分でつくった水車発電が動いている。

私たちの古い方の風車発電は運転開始から18年になる。だが、新しい電力制度改革の下ではやがて閉鎖を余儀なくされるであろう。「お手伝いありがとう」などというあり方でデンマークの風車発電をとらえるならば、そのような制度改革などない方がましである。(デンマークでは風車発電などのクリーンな電力は電力会社が一定価格で買い取らなくてはならない制度であった。近年、デンマークでも電力会社へ一定枠のグリーン電力導入を義務づけるグリ-ン電力制度の導入が論議され、それにたいして風車発電所有者は強く反対した。導入枠以上の電力は自由市場で買いたたかれるのを余儀なくされるからである。彼らは自分らが率先して風車発電などクリーン電力を切り開いてきたという自負があるし、それを単に電力会社の義務枠達成の「お手伝い」に使われる事に対して反発があるのは当然であろう。:訳注)

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