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第14回 統計から見た風車の歴史

パー・ニールセン

大体は表を見ればわかる通りだが、「自然エネルギー」に掲載された内容に加え、リソーのフレミング・ハーエンセンがデンマークで風車をつくった全てのメーカーから集めた情報が付け加えられている。

1995年「エネルギーと環境データ」に掲載された資料は、急速に建設が進んだ当時の全てを網羅できていない。

データベースは日々更新されているが次のものは欠いている

  • 最初の5年間につくられた風車はとても全ては記録できない。特にウィンドローズはその寿命が短く記録が始まった頃には廃止されていたし、風車発電のように詳細な記録が得られなかったのでデンマーク風車発電協会の統計にも表れることがなかった。
  • 大型風車の一つであるDVTがリナスハウンにつくった3台の300kw風車は1983年までは入っていない。だが、1987年には再びダウンした。技術的な問題があり、貧弱な発電量、同時にオイル漏れのような環境的問題もあった。
  • 第1期の代表的な大型風車はツヴィンド風車とニベ風車である。しかし、10kwクラス小型風車全体についてのデータベースはない。

それぞれの時期ごとに以下の図表であらわした

  • どこに風車が建設されたかという地図
  • 風車の規模はその出力(時期により異なった測定方法だが)であらわした。
  • 年間建設数のグラフ 両サイドにその時期の典型的な2台の風車
  • レアーケーキ風のグラフは総生産に対するメーカーのシェアー

1976年 創生期

1976年2台のリセアー風車が立てられた。その翌年の1977年には風車建設の記録はない。その他大勢の風車が追いつくのに丸1年かかったのだ。しかし、記録にないだけで多くの手作り風車がつくられている。1978年からは本格的な風車建設運動が始まる。最初はリセアー風車だけだったが、ウィンドローズ風車が急速に追いついてくる。だがそれは統計数字に全く表れなかった。ウィンドローズは安価で体裁も良いので普及した。とりわけ、配電線接続方式でないため電力会社と交渉する必要がなかったからである。多少大きなメーカーのなかでヴェスタスと並んでウィンドマチックが頭角をだす。ウィンドマチックは後の呼称で当初はリセアー・コンセプトの風車をつくっていた。 国はニベに630kwの2台の大型風車をつくった。私もその風車を何度も見たことがあったが、ずいぶん巨大な風車だと思っていた。またそのような風車が量産される時代がくるなど想像すらできなかった。電力会社もきっとそう思っていたのでなかろうか。私の記憶ではそれを当時量産するとすれば2億クローネかかるということであった。今日では同じ規模の風車が1/5の価格で得られる。 そしてまたツヴィンド風車も忘れることができない風車史上のエポックだった。だがそれはまた別な独自の物語がある。

1980-84 新たな産業の勃興

次の5年間は大変安定な時期と見なすことがで、き年間150台の風車発電がつくられた。大変人気があったのはクリアント風車で、初期のは出力11kw、後に15kwと18kwとなった。それによって人は、どれだけ風車へ投資すれば何kwhの電力が得られるか知ることができた。だが、55kw風車が急速に凌賀してきた。風車の共有運動としての風車協同組合の結成によるところである。そこでは同じ投資額で更に多くの発電量が得られた。鋼管タワーで特徴されるノルドタンク、ボーナスという新しい風車メーカーが現れ、 風車発電の新しいイメージをつくった。 国がつくったニベ風車も、ツヴィンド風車も円筒タワーであるがコンクリート製である。それは巨大風車のみに適していると思われる。後になり、ドイツのエネコン社が“小型”風車のためにコンクリート製タワーを量産した。

ヴェスタスがトップメーカーで、ノルドタンクとクリアントがそれに続いた。

1985-94 混迷期

1985年度からその伸びに弾みがつく。年間約400台の風車がつくられ、1991年には日に1台上の割合になった。92年から94年は下降線である。特に売電価格が下落したことが、風車に投資しようという意欲を失わせた。だが落ち込んだのはそれだけが原因ではなかった。この時期の中頃、アメリカの風車ラッシュが終息し、全てのメーカーが破産かそれに近い状態に追い込まれたのを目の当たりにしなければならなかった。

最初のウィンドパークは1985年にできた。16台のノルドタンク55kw風車がエベルトフトのフェリーの防波堤上に、10台のヴェスタス55kw風車と10台のボーナス風車がティホルムに建設された。最後に電力会社が750kw風車5台をマスネス島につくった。1985年以降電力会社の風車プロジェクトに沿い、一連のウィンドパークがさらに多数実現した。ヴェスタスはその頃、ボーナスと共にウィンドパーク建設でもリードしていた。ダンウィン、DWP、ウィンドワールド、ミコン(しばらくはウィンコンとウェナギーに分かれていたが後に再びミコンとなった)

1995-99 成功!

600kw風車はkwhあたりのコストを20%減らすことができ、風車建設は再び活気づいてきた。自治体の風車プロジェクトが数多くの風車建設に道を開いたのも進展の要因のひとつであった。風力は魅力的な投資の対象となり、同時に電力生産における真のCO2削減へ寄与した。 ヴェスタスがリードしていたが、ノルドタンクとミコンが合併しNEGミコンとなり、後にウィンドワールドを買収して市場での最大勢力となった。1999年NEGミコンは破局的な危機があったということがあったけれど、デンマークの風車発電は明らかに成功したと言える。今まで風車業界がたどってきた年月に比べると、比較的短期間に業界は集中化したように見える。トップの10社の合計を見るに際し、より新しい家庭用風車は統計に入っていないことに注意してほしい。だが「自然エネルギー」誌の統計に入っている。数から言えば年間400台という数は80年代末から90年代初めのものである。しかし、その一台あたりの出力は今日の風車は5倍も大きい。

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