トップページ / 南島学ヱレキ版 / 第09回 タンク落札
メニュー
南島学ヱレキ版 航跡 南島資料室籠屋新聞 トカラブログ リンク

第09回 タンク落札

下隣りの清(せい)坊が昼前に私の仕事場にやってきた。額から噴き出す汗を拭おうともしない。白い長靴を履き、小柄な体の腰を曲げながら、息を切らして言う。

「あして、酪農組合で備品の処分市が有(あ)っから、見て来(く)っで」

わたしの住む町の酪農協同組合が製乳工場の一部を閉鎖するので、不要になった備品を組合員に分けることになった。

水道仲間は六軒であるが、その内の一軒である清坊の家では乳牛を飼育している。組合員であるから、処分市に参加する資格があるわけだ。同じ酪農仲間で、組合の理事をしている利夫から、いましがた電話が入ったという。長靴の水滴が光っていることろをみると、搾乳の最中であったようだ。連絡の内容は、処分品の中に、ステンレス製の大型タンクがあるという。程度の良い中古タンクを以前から仲間内で探していたところだった。

いま使っている水槽は、セメントで作られた筒状のものである。直径が1メートルで、高さが三メートルのものを二基備えている。すでに三〇年以上使っているが、何の不都合も起きていない。ところが、水槽を設置している土地の持ち主が三年前に死んで、その跡を継いだ養子息子が、家屋敷を初めとして、それに隣接する後背の山を全部、町の不動産屋に売却してしまった。合わせると三〇〇〇坪になる。当然、土地所有者が変われば、新たな設置許可を貰わなければならないが、それも望み薄である。死んだ養父は仲間のひとりであったから、土地の使用を何の異議も吐かずに認めてくれたが、こんどはそうはいかない。不動産屋は、別荘分譲地として売るつもりでいるから、分けのわからない水槽なぞ、商売の邪魔になる。それで、土地が売れないうちに、なんとか、別の地に水槽を移し替えなければならなかった。従来のセメント製を移築するのは手間取りだし、新たに作り替えようということになった。タンクはそのためのものである。「オ(俺)も連れて行(け)え」と、わたしも清坊に同行を申し出る。

翌日、わたしは清坊の運転する軽トラックに便乗して、組合の工場を訪れた。わたしが来ていると知って、利夫が飛んできた。

「きょうは、組合員でねえば、ダメだよ。外の人は遠慮してもらってんだから」

「清坊の付き添いだっぺ。ヤマ水仲間のタンク見に来ただけださ」

利夫は分かったという笑いを浮かべて行ってしまった。わたしが住んでいる山間の一帯には、細長い谷がえぐれていて、それに沿って八つの集落がある。戸数は三〇前後から、八〇数戸までのムラである。明治のいつ頃までかは分からないが、それぞれが独立した村であったが、その後、合併して一村となった。八つのムラがひとつに纏められたわけだが、いまだに独立村だったころの名残がある。消防団も違えば、祭礼も日にちが違う。年中行事もまちまちである。

利夫は奥まったところにいるが、わたしとは密な往き来がある。初めは子供会の役員同士の横の繋がりから始まった。子どもが大きくなってからは、互いが廃品あさりの癖が抜けなくて、回収業者の屑鉄のヤマで一緒になることもあった。その癖は治るどころか、しだいにこうじて、一緒に古道具屋を見て回ったり、互いが入手したものを見せ合ったりした。

つい何日か前も、大工道具のノミを自慢しあったばかりである。利夫は、細い一分ノミから始まって、一寸五分もある大ノミまでの十余本の揃いを、三万円で手に入れたという。大きいノミは一本でも二万円近くする。引退した老大工の宝物であった。わたしのは、連れ合いの実家が建具屋をやっていたのだが、父親が高齢になり、店を畳むことになった。大方の道具類は、世話になった同業者に譲ったが、どういうわけか、ノミだけはわたしに渡された。利夫のよりも本数は少ないが、いずれ劣らぬ逸品である。

品物を融通しあうことは日常である。わたしは、材木をヤマほど持っているが、すべてが古いわけではない。工務店が閉鎖されるときに、後片付けをした礼に材木を貰った。二トントラックに満載して三台分をである。その一台はラワンであった。現在は乱伐を防ぐために、輸出が禁じられているが、三〇年か、そこいら前までは、安価な材料として、大量に東南アジアから輸入されていた。カンボジアのポルポト政権の主要な収入源でもあった。店主はそれをまとめ買いしたのである。埃を被ったラワンをそのまま貰ってきたが、なんだか、ポルポトの凄惨な血の粛清が臭ってきそうで、不気味であった。

ラワンも、品質がピンキリである。固く、家具や、家の材として向いているものもあれば、柔らかく、虫食いだらけの下等なのもある。わたしは上質のを手にいれたから、利夫は黙っていない。家具を作るのだといって、ごっそり持って行った。

わたしはわたしで、利夫が宝ものにしていた湯沸かし器をねだって持ってきてしまった。夜間の電気使用量が減る時間帯には電気料が格安となる。その廉価な燃料で湯を沸かし、終日給湯できるように考案された器である。人間の背丈より高い給湯塔の釜は、電気を燃料としてるが、わたしは、それを薪が焚ける釜と入れ替えて、台所と風呂場に配管するつもりである。利夫が回収業者からいくらかで手に入れたものだった。お互いに、手に入れるときは、現金や手間を費やしているのだが、相手に譲るときに金を請求したことがない。

処分市では、初めに事務所の二階の会議室で簡単な説明が行われた後、三〇人ほどの参会者が、理事らの案内で処分対象になっている備品を見て回った。集乳管や、ステンレス容器という小物から、フォークリフトや巻き上げ機という重機類まで、相当の点数が、工場のあちこちに置いてある。いまさっきまで使っていたのでは、と思われるほどに、どの備品も手入れが行き届いている。個人の家の廃屋を覗くときの侘びしさはないが、多くの人が働いていた匂いが嗅ぎ取れて、気楽に奥の方に入っていけない。

清坊とわたしはタンクだけが目当てであった。屋内には大型タンクが二基あった。これは円筒型で、小ぶりの方が四トン入りのタンクである。一リットルが一キログラムとすれば、四〇〇〇リットルの容量がある。現在使っている水槽の容積とあまり変わらない。もう一方が六トン入りであった。

ふたつには数々のバルブや配管が溶接されているので、水槽として使うには、その穴を埋めなければならない。清坊は元溶接工だから、埋める技術はあるが、もっと手間のかからないタンクがあればいいが、とふたりで話し合った。

屋外にも幾種類かあった。こちらのは、側面が楕円になっている。ガソリンを運んで街道を走っているタンクローリー車と同じ形のタンクである。ふたりは一瞬目が合った。工場の建物を出てすぐの軒下にふたつあり、屋根のない二階式の車庫を思わせる鉄柱囲いの中に、下段に六トンのタンクが据えてあり、上段には四トンのが据えてあった。ふたりは巻き尺を手にしてハシゴを登り降りして、ふたつを比較した。

上段の方がいいだろうということになった。タンクを運び出すのも、取り付けるのも、自分たちでやるわけだから、六トンは大きすぎる。四トンタンクならば、仲間のひとりが持っている一トン半のトラックに積載できる。それに、六トンのは塗装がところどころ剥がれていて、そこから錆が浮いていた。ステイン・レス(非錆鋼)との名前が付けられているが、実際には古くなると錆が入る。

近くに利夫がいたので、清坊が弾んだ声を掛けた。

「おい、これをオラ(俺)ほうに、回せや」

利夫の表情は固かった。一緒にいるときのいつもの気安さがない。立場上、別の顔をしなければならないのだろう、とわたしは察した。

「ほら、見てみらっしぇよ、あすこに貼ってあっぺ? あれに、『全農』って、書いてあんのが見えっぺ、な?」

説明する利夫の目線はふたりには向けられていなかった。回りを取り囲む者たちを見渡し、声を張り上げた。利夫の指さす二階のタンクを改めて見上げると、確かに側面の右上隅に紙が貼ってある。それに黒のマジックインクで『全農』と書かれてあった。「全国酪農共同組合」の略称のようだ。

「あらあ(あれは)、はあ、全農が予約してあんだよ、七万円でよ。」

と、利夫が再び大声をまき散らす。組合の上部組織である全農が欲しいといえば、誰も文句はいえない。われわれふたりには、六トンのタンクしか残されていない。他のは余りにも大きすぎた。

集まった組合員たちが、放出備品をひと通り下見してから、再び、会議室に集まった。理事の利夫が口を切った。

「ええ、皆さんにひと通り見てもらったので、これから、希望者に競売で品物を分けたいと思います」

どの品も破格の安値が用意されていた。皆が陣取っている室内に大型のテレビ受像器があったが、千円であった。いま座っているソファーが五百円、ビニールを張ったスチール製の椅子は百円である。名目上は競売となっているが、値をせり上げることはなかった。希望者が多いときは、ジャンケンで決着を付ける。理事の言い値で分けられていた。理事といっても、専従の職員とは違い、あくまでも臨時雇いの身である。何年かの約束で、皆の小間使いをしているようなもので、組織の人である前に、ひとりの酪農家である。

会場は和気藹々の雰囲気であった。日ごろから見慣れた顔ぶれということもあるが、酪農家自体が醸し出す体質もある。海外からの輸入品に押されて、乳価は下落の一途を辿っている。「スタンド売りしている飲料水よか、安(やし)いや」と、自嘲するぐらいだから、廃業していく同業者は後を絶たない。強面の酪農家は皆無である。

わたしは清坊に耳打ちした。

「タンクは売らねんかなあ?」

「知らねえ。だけんど、あんま高けえこと言うようだら、止めんべえさ」

「いいとこ、何万なら分けてもらうか?」

わたしは清坊に伺いを立てた。

「だなあ、あの四トンのだら、七万でも悪かねえが、六トンのはなあ・・・」

「初めは二万円ぐれえで、頼むべえよ」

「おう、あんまり、値付けても良かねえしなあ」

大方の競売が終わり、利夫がわれわれのところに近づいてきた。清坊が質す。

「利、タンクはいくらで分けんだ?」

「まだ、決めてねえよ。後で組合で決めっから、待ってくらっしぇよ」

ふたりは、はぐらかされたような気持ちで帰宅することになった。

夜、わたしが自宅で夕食を摂っていると、清坊から電話が入った。四トンのほうを分けてくれるとのことだった。利夫からいま連絡があった、と嬉しそうにいう。価格は二万円でいいとのことだった。

あまりにもわれわれに都合の良い話である。昼間の利夫の説明を思い出していた。「『全農』って、書いてあんのが見えっぺ、な?」と、よそよそしい口ぶりにいささか面食らったが、あれは、誰にも気づかれないように、利夫ひとりが仕組んだ芝居ではなかったかと、気づいた。張り紙を、しかも上部団体の全農の名前を入れた売約済みの紙をちらつかせておけば、誰も手を出さない。すべてが終わってから、その紙を剥がして、清坊に二万円で分ける下心があったのだ。その金額ですら、利夫にとっては請求していいものかどうか、迷ったはずだ。

ページの最初に戻る>>